「中国・四国だより」保存版(2002年)
 
Elektitaj bultenoj de la jaro 2002 <Bulteno de Chu^goku-Shikoku-regiono en Japanio>
 



目次



中四国だより 168号
● 1. 片岡さんのウィーン・プラハ滞在記(その2) [2002.02.07/片岡/高知]
 
 

● 1.*** 
片岡さんのウィーン・プラハ滞在記(その2)  ***
 
 
    プラハ
 9月19日(水) いよいよ6日間お世話になったアストリアホテルにお別れしプラハへ出発です。朝から荷物をまとめ11時前にタクシーで空港へ。
 そこで軽く昼食をとり2時頃プロペラ機(40人乗りぐらいか?)で40分ほどのフライトののちプラハ着。
 乗合タクシー(ワゴン車で運転手が同じ目的地に行く人を適当に集める)に乗り込みました。相客は6人連れのフランス人の一行。私たち3人と計9名で割り勘です。
 4時頃プレジデントホテルに到着。部屋は結構広く快適そうです。フルドレさんとの待ち合わせの7時までに少し時間があるので、早速バツラフ広場やカレル橋のほうへ散策に出かけました。
 沢山の人がにぎやかにベンチにすわったり歩いたりしながらおしゃべりしています。カレル橋の上でわたしの大好きなチターの演奏が聞こえてきたので、近づいてじっと聞いていると、日本人だと気付いて「荒城の月」をひいてくれました。そして「チターにさわれ」というので喜んでさわらせてもらい、うれしさのあまり彼のCDを2枚買ってしまいました。
 7時が近づいたので急いでホテルに帰るとフルドレさんがもう待ってくれていました。天文時計台や第2次大戦でナチスに破壊された市役所跡など説明してもらいながら「ルドルフ2世」というバツラフ広場近くのレストランに向かいました。そこでヴィホディルご夫妻とも合流し、エスペランティスト仲間でよくやるバンケード(宴会)です。うまいピルセンビールで乾杯し、始めて直接会えた喜びをかみしめながら、楽しく食べたり飲んだり話したり。パンの中に入ったス−プ(なぜ外にしみだして来ないのか不思議!)、チェコではその後もよく出てきたキャベツのピクルスのようなもの、ほくほくのじゃがいもなどいずれもいい味でした。
 20日(木)朝9時にヴィホディルご夫妻がホテルに迎えにきてくれ、点字図書館と視覚障害者のリハビリセンター(このふたつは同じ建物にある)に向かいました。
 図書館の前でヴィホディルさんが、胸ポケットから何か取り出しボタンを押すと玄関のあたりでぽこぽこと変な音がし、チェコ語で案内する声が聞こえました。その小さな送信機は地下鉄やバスや路面電車の乗り場でも威力を発揮しますが、あとで詳しく説明します。
 
    点字図書館:
 チーフの男性がずっと案内してくれましたが握手を交わしている最中に、彼の携帯が鳴り出しチェコでもやはり携帯は必須の持ち物のようでした。
 先ず書庫です。点字図書、テープ図書がずらっと並んでいましたが、印象的だったのは点字の楽譜が3千タイトル以上あったことです。チェコでは盲人の音楽家が多いと聞いていましたが、それを裏付ける数字です。デイジーについて聞いてみたところまだ始めたばかりで、ほんのわずかしかないが、アメリカの技術を導入してまもなく本格的に取り組むといっていました。又、エスペラント関係の図書も100冊ぐらいありました。
 録音室ではフィリップス社のテープレコ−ダーやミキサーを使用していました。コンピュータールームでは点字データの入力は晴眼者が行い、その校正は盲人が担当していました。ダビング室ではソニー製のダビング機がたくさん動いていましたし、オ−プンリールからカセットにダビングする機械も動いていました。印刷出版室では4ページ同時印刷できるスウェーデン製とデンマーク製の印刷機を使っていました。毎年浮きだしの絵のついたカレンダーを出版しているそうで、私にも2002年版を下さいました。
 点字郵便物やテープ図書の郵送はチェコでも無料です。登録読者数を聞いてみると5千名ぐらいといっていました。
 
   リハビリセンター:
 近くのケンタッキーフライドチキンで昼食をとり、午後はヨ−ゼフ・チェルファン博士の案内でリハセンターを見せてもらいました。先ずコ−ヒーを飲みながら、概要説明を受けたのち数名の職員を交え、日本の事情を聞かれたり、こちらからチェコのことを質問したり1時間ほど懇談しました。
 チェコの人口は1千万人ぐらいで、その約1%が視覚障害者です。重度は2万人(全盲は5、6千人)で、弱視は7万人ぐらいです。
 このセンターは中途失明か先天盲かを問わず、15歳以上の人を対象としており、すべての希望者に無料でサービスを提供しています。特に力を入れていることは、依頼者の現場つまりその人の家庭や職場でのマンツウマンの訓練で、必要に応じて家族も訓練に参加してもらっています。センターを訪れての訓練を望む人に対しては、毎週木曜の午後1時から6時まで実施しています。なおチェコにはこのようなリハセンターが12個所あり、ほぼ全地域をカバーしています。
 訓練の主な内容は(1)移動と白杖の使い方 (2)日常生活訓練(料理、洗濯、衛生、子育てなど) (3)点字 (4)ロ−ビジョントレーニング (5)墨字を書く(自筆のサインの練習とタイプやワープロ) (6)住宅を視覚障害者に住み易いように改良することの相談 (7)コミュニケーショントレーニング(公共交通機関の利用や買い物などが円滑にできるように) (8)触覚訓練(浮き出させた地図などを解釈する訓練と、そういう図形を自分で描く訓練) (9)各種の機器(拡大読書機やルーペ、パソコン、歩行援助機器など)を使いこなす訓練などです。
 医師と密接に連携をとっており、中途失明者はほとんど医師の紹介でここを訪れるし、依頼者が利用する各種の機器も医師が処方します。
 重要なことは訓練生自身に社会復帰しようという意欲を持たせることです。さもないと訓練に背を向け、家の片隅でじっとすわっているだけの人になってしまいます。もうひとつ重要な点は、適切な情報の入手です。各訓練生のニーズに適した機器に関する情報など、センターがタイムリーに獲得できるよう努力しています。
 チェコでは泊まり込みの訓練はまだ実施できていません、などと説明してくれました。
 次いで盲人用具の展示販売室を見せてもらいました。拡大読書機、音声電卓、音声温度計、まな板や包丁、計量スプ−ンなど視覚障害者に使いやすい調理器具、白杖その他沢山のグッズがありました。
 訓練室では丁度木曜の午後だったので、10名ほどの訓練生がいろんな訓練を受けていました。
 
    ハイテクを駆使した交通システム:
 わが国でもいま「歩行者ITS」の研究に取り組んでおり、丁度札幌、東京、大阪、岡山、高知の5個所がその実験地域に指定され、高知でもモニター調査がこの3月に実施されます。「歩行者ITS」とは、例えば点字ブロック付近に電波を発信する装置を埋め込んでおき、視覚障害者が携帯端末によってその電波をキャッチし「ここは大丸前です」とか「車道に出てしまいました。歩道は左側です」などその場合に応じた有益な情報を得ることができるシステムのことです。
 プラハではすでにそんなシステムが実用化しているのです。リハセンターの見学を終え、町に出てヴィホディルさんにそのシステムの実際を説明してもらいました。
 ヴィホディルさんが点字図書館の前で胸ポケットから取り出したあの小型送信機ですが、それには6個のボタンが付いています。又白杖をつかう人は、白杖にそのボタンがセットされています。
 視覚障害者関係の施設の前でひとつのボタンを押すと誘導チャイムが鳴って「ここは○○施設です」と案内の声が流れます。又地下鉄に降りていく階段を探したい時は別のボタンを押すと、鳥の鳴き声のような音で知らせてくれます。この電波は40メートル先まで届くそうです。又地下鉄構内に入って乗り場が1番線、2番線などに分岐しているところでボタンを押すと、2種類の違ったメロディーが流れて、自分の乗りたいホ−ムを選ぶことができます。さらに、地下鉄構内で3機のエスカレーターが並んでいるところで、ヴィホディルさんがボタンを押すと「右のエスカレーターは下に降ります。真ん中と左のエスカレーターは上に上がります」という音声案内が流れました。
 今度は路面電車の乗り場のところでボタンを押すと、次々にやって来る電車から「〇〇番線どこどこ行きです」というアナウンスが流れます。この声で行き先を確かめ自分の乗りたい電車を選べるわけです。これはバスと地下鉄でも有効だといっていました。
 午後4時を過ぎたプラハの町は少しひんやりとしてきました。別れ際にヴィホディルさんが「明日は何時に迎えにきましょうか?」といってくれました。わたしはまだ盲学校とか、視覚障害者が実際に働いているところとか見せてほしかったのですが、娘の真琴は「町全体がヨ−ロッパ建築の博物館」といわれるプラハの建物をみたいだろうし、ヴィホディルさんにも2日もつづいて仕事を休んでもらうのも悪いし、感謝を述べ再会を約してさよならしました。