「中四国だより」 196号
"Bulteno de Tyu^goku kaj Sikoku" n-ro 196
la 24an de julio 2002
● 2.*** エスペラントと世界連邦運動の提携 ***
エスペラントと世界連邦運動の提携(既得権益にあぐら、傲慢な英語国の人たち)、三好鋭郎(えつお)
この7月11日から16日まで、ロンドンで第24回世界連邦世界(WFM)大会が開かれ、36ヶ国から約250名が参加した。今回の大会で特筆すべきことは、エスペラント語をめぐるセミナーが史上初めて行われたことだ。
ここまで来たいきさつを述べると、わたしはまず、サンフランシスコでの第22回WFM世界大会と、一昨年の湘南海岸でのWFM理事会で「言語の差別を解決せずして、世界連邦は成就しない」と約10分間主張したが完全に無視されてしまった。そこで、昨年のイタリーでの理事会でも、言語問題への取り組みを迫り、「世界連邦運動とエスペラント運動の理念はあい通じる」とあきらめずに食い下がって、協調路線を打ち出すよう強く要請した。その結果、カナダの牧師ジエイムス・クリスティー理事長から、今年のロンドン大会で、エスペラント・セミナーを開催することが承認されたのである。
さて大会は順調に進み、全体会議の終わる3日目の夜に、エスペラント語がテーマの分科会が登場することになったが、その日午前中の全体会議が長びき昼食が1時半にずれこんでしまった。食事の直前、議長に無理やり頼んで2分だけもらい、夜のセミナーの宣伝をした。わたしは、青年期に10年あまり大本に奉仕され、日本音楽でロンドン大学の博士号を取得されたチャールズ・ロウ氏と共に前に進んだ。どんな言葉かを理解してもらうために、私がエスペラント語で話し彼に英訳してもらった。事前の案内では「セミナーは飲み物(ドリンク)付き」となっていたが、ドリンクでは人が集まらないと思い、「セミナーではワインとツマミで歓談します」ととっさの判断で変えた。そして手分けして出口で参加者にビラを配ったところ、なかにはニューヨークのB.W女史のように「あなた達の活動は間違っている」と口汚くののしる人もいた。
そして、いよいよ夕方5時からセミナーが始まった。夜8時までの3時間、約15名の地元のエスペランチストと、約45名の連邦主義者が一同に会し、講演や質疑応答を行い、ふたつの運動がともに手を携えて活動できないかを、ハラを割って熱っぽく議論することができた。先ず、連邦主義者でエスペランチストのアメリカ南イリノイ大学のロナルド・グロソップ教授が話した。「自分は長年、エスペラント運動に携わって来たが、今信念として言える事は、エスペラントは世界連邦との関係でのみで突破口が開かれ、そうならなければエスペラントの希望は無い」と強く訴え、30分あまりで、ワインやつまみで全員の懇談に移った。
英語力には自信がない私は、「英語学校のNOVAだけでも4万人のネイティブスピーカーが日本各地で働いており、世界の留学生が英米両国に落とす語学教育費だけで毎年2,800億円にのぼる。人類の約9割が数千時間も英語と格闘している間に、英語国の人たちは他の分野で力をつけられる。しかしその甲斐は無く、いくら努力しても英語国の人々に全くはおよばない。こんな不公平を放置していて世界連邦どころの話ではない」などなど指摘し、エスペラント語の推進と両者の提携を呼びかけた。
ロンドン・エスペラントクラブのデイビッド・ソーネル会長が司会をつとめ、セミナーを準備をして頂いた英国エスペラント協会のデイビッド・ケルソ理事が、エスペラントに対する一般の誤解を指摘し、「エスペラント語には文化的な背景がないから文学作品が書けないとか、ヨーロッパの言葉をベースにしているから中立とはいえないとか、人工的な言葉だから感情表現ができない、などと言うのはまったくの誤解である。エスペラントで恋人同士が愛を語れるのだ」と結んだため、会場は大いに沸いた。不思議なのは、60脚の椅子に丁度60名参加してくれ、飲み物などの量がドンピシャだったことだ。
次にロウ氏が「大本との出会いについて」興味の尽きない講話を行ったあと、「エスペラント採用に賛成しない連邦主義者の皆様に、何がエスペラント採用の障害になっているのか、是非お聞きしたい」とソーネル会長が問いかけた。英国の元下院議員でキース・ベストWFM執行理事はつぎのように言う。現実にはエスペラントに翻訳する予算が無い。日本人にとっての英語習得の困難さには同情するが、会議に参加する人たちは皆英語ができるのが実情だ、フランス人でさえ英語を話しているではないですか」と。「今すぐにエスペラントを採用するのは困難でしょう、しかし、EUでは年々巨額な翻訳費が増えていて、世界連邦運動を大きく伸ばすためには、まったく翻訳費が要らないエスペラントを視野に入れた対応ができないでしょうか」と、ソーネル会長が迫った。大本の矢野裕己氏は「日本から40名余り参加していますが、大半は英語での議論に参加できず、いや気がさしてパリに出かけてしまいました。もし、我々が母国語で話しができるなら、会議に貢献できたであろうと思い誠に残念ですし、もっと多くの参加者があったに違いありません」。ベスト氏「失礼ながら、エスペラントでも日本人には困難が伴わないですか?」。矢野氏「言語体系上ハンディはありますが、少なくとも、英語に費やす何分の1の努力で習得できます。そして、会議には英語ができる人ばかりが参加しているというのではありません」と反論し、議論は熱を浴びた。
翌日の決議文の起草委員会には、グロソップ教授、英国のジョン・ロバート氏、私、ロウ氏の4名のエスペランチストと、5人ほどの連邦主義者ならびに、オブザーバー7-8名による緊迫した議論が展開され、数行の文章作りに1時間半を要した。先ず、エスペランチストの意見が聴かれた。「エスペラントなんて作られた言葉じゃないですか、そんなのは駄目です」とイタリヤの理事。「英語もドイツ語も先祖が作った言葉だ、エスペラントのどこがおかしいというのか」とロバート氏。元世界銀行の要職者でアメリカ人のエドワード・チョンバニアン氏は「今さら新しい言葉を勉強するなんてとんでもない」と既得権益を振りかざす。その後、議長から「三好さんの意見は」と聞かれ、わたしは「もしエスペラントが世界共通語になれば、1つには、英語国の人たちも国際語を勉強しなければならなくなり、人類全体の言語の平等が保てること、2つ目には、この言葉が、アジア人やアフリカ人を含めて世界中の人が英語の5分の1の努力で習得できる簡単な言葉であること、そして3つめには、多言語のEUでは管理予算の34%が通訳や翻訳に労費されており、人類全体に広げてみると共通語の経済効果は計り知れない」と大声で述べ、それなりの納得が得られたと感じた。そして、ついに「連邦主義者はノン・ナショナル・ランゲージ、エスペラント語を学ぶことを推奨する」という一文などが決議文に入れられた。
その後、次期の理事を選ぶ選挙が行なわれ24名が立候補、得票数24票以下の9名が落選し、15名が当選した。(私は22票のため落選。)起草委員会の後で敗者復活の決戦投票が行なわれたが、総票数44名の理事の過半数を得たインドのビジャヤム・ラグナタン女史だけが当選し、私は18票しかとれず復活できなかった。長年、手袋なら平気で売りこんできたのだが選挙は初めで、自分に票をいれて欲しいとは気恥ずかしくて頼めず、選挙運動をまったくしなかったことが敗因でもある。ただ、聞えてくるのは「お前のいうことは判った。なるほど理想ではある。しかし世界語は英語以外にはないよ」という、エスペラントが不当に冷笑されている現状を、厳正に受け止めざるを得なかった。しかしながら、かれらの言い分や反論は筋が通っていない。いつかどこかで挽回のチャンスが訪れるはずだ。全力を尽くしてその機会を創造しよう。
ノルウェーからの年輩の参加者が、「会議は英語を母国語にしている人間が仕切っていて、我々にはよく解らない」とこぼしていて、ハンディを感じている外国人も多いことを知った。会議がすみ、「英語が国際語だという人たちの傲慢な態度、非英語国民に対する配慮のなさを見て憤りを隠しえず、今更ながらエスペラントの重要性を痛感した」と言われたロンドン在住の大本信徒で、尚代夫人とともにセミナーを手伝って頂いたロウ氏の言葉が忘れられない。
ただ、関空への機内で「選挙運動をしないで4割強もとったのは、三好さんのエスペラント活動が認められた結果だ」と皆さんから慰められ、うれしいような悲しいような心境で帰国の途についた。とにかく、アリ(エスペラント)が象(英語)と戦うには、まともな戦術では勝てないと痛感する旅となった。